2021年12月2日木曜日

米沢市立万世小学校、創立120周年、おめでとうございます!

 


 本日、本校体育館において、米沢市立万世小学校創立120周年記念式典を挙行いたしました。ご来賓として、同窓会会長の菊池政信様、教育後援会会長の山田長一様、PTA会長の佐藤大輔様、南原在住のピアニスト福田直樹様の4名のご臨席を賜りました。本来ならば、ご来賓の方を多数お呼びして盛大に開催するところではありますが、コロナの影響で規模を縮小して挙行いたしました。

 






 

 

 式典後には福田直樹様によるピアノリサイタルを開催しました。

 バッハ、モーツァルト、シューマン、ショパンの名曲を10曲以上披露してくださいました。お忙しい中、ありがとうございました。






 今年度初めて、校歌や創立記念の歌を全校生で斉唱することできました。(マスク着用の上)改めて、当たり前の有り難さを感じました。また、この120年間、時代の変遷とともに最高の理想を求め、輝かしい校風を築いてきた万世小をこの先も誰もが誇りに思える学校にしていきたいと決意を新たにしました。

 今後とも、保護者の皆様をはじめ、地域の方々の変わらぬ温かいご支援ご協力をお願いいたします。


【校長式辞】

 早朝より雪が積もり、先週の天元台スキー場では、初すべりが行われるなど、いよいよ米沢にも本格的な冬が到来しようとしています。そのような中、本日、ここに、米沢市立万世小学校創立120周年記念式典を挙行するにあたり、ご来賓として、同窓会会長の菊池政信様をはじめ、4名の方に御臨席を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。さて、皆さん、本日は、万世小学校の120歳の誕生日になります。本来ならば、来賓の方を多数お呼びして盛大にお祝いしたいところではありますが、コロナの影響もあり、規模を縮小して開催します。なお、この式典後には福田直樹様のピアノリサイタルを予定しています。

 ところで、改めて万世小学校校歌に関連した歴史について触れてみたいと思います。先ほど、皆さんは校歌を斉唱しましたが、この校歌の一番の「その名ゆかしき万世の郷」について考えてみましよう。クイズ、第1問目、万世の名付け親は誰ですか?  1番昭和天皇、2番大正天皇、3番明治天皇、正解は、3番の明治天皇です。

 明治の始まりは、新しい政治に対して不満を持つ人が多くいました。特に、東北地方の人々は明治政府に一番抵抗していたので、明治天皇自らが東北・北海道地方への旅を決意しました。今と違い新幹線や車はなく、お付き人を350名ほど従え、それぞれの地域で500名以上が協力し、馬車や御輿(みこし)に乗って東京から2か月以上かけて旅をされました。米沢には、明治14年、今からちょうど140年前の1881年10月3日に到着しました。お付き人を含め、約1000人近くになったそうです。まず、桑山の旧万世小学校の庭でご休憩をされました。その後、栗子山隧道にて栗子トンネルの開通式が行われました。今では、このトンネルも崩れて通れなくなりましたが、当時は最新の技術と機械を使って、山形県初代の県令三島通庸(みちつね)の命により開通させました。当日の開通式では、明治天皇が約870mのトンネルを安全に通過できるようにするため、三島通庸は、荷車28両を出して、石ころなどを拾う作業やトンネル内の清掃作業を何度も行いました。明治天皇はトンネルの米沢入り口付近で馬車から降りられたあと、このような御輿(みこし)に乗り、福島県の入り口付近で降りられ、山形県令の三島通庸の先導で、自ら歩いて福島県へ出られたそうです。明治天皇は、次の年、その時の地元住民への慰労と感謝を込め、この栗子山隧道を万世大路と命名しました。ちなみに、万世とは、限りなく何代も永遠に続く世の中のことで、明治22年には、梓山、桑山、堂森、金谷、片子の5つの村を合併して、万世村が誕生しました。

 次に、校歌の「つゆな忘れそ、この庭を」についてのクイズです。明治天皇がご休憩された「庭」に植えられた木は何ですか?1番桜の木、2番どんぐりの木、3番松の木、正解は3番の松の木です。

 明治28年に明治天皇がご休憩された記念に「万歳の松」を植えました。「万歳の松」は、桑山の向原の旧万世小学校跡地で、現在の高速道路、八幡原インター入り口付近にあります。次に、桑山向原にあった旧万世小学校の歴史についても触れたいと思います。小学校の沿革史によれば、明治34年万世尋常高等小学校として、12月2日に新校舎落成式があったようです。そこで、この日を創立記念日としています。昭和29年には、米沢市立万世小学校となり、昭和32年には2回目の校舎を新築しました。その当時の写真がこれです。その後、現在の場所の八幡原に3回目の校舎を新築移転し、現在に至っています。当時は、田んぼの中に校舎があり、学童の森の子園もオレンジロードの街路樹もなかったようですね。

 さて、最後のクイズです。小学校を桑山から、ここ八幡原に移転した理由は何でしょう? 

 1番の旧校舎に高速道路をつくる計画があったから、2番の平成天皇(当時皇太子)がご休憩された庭があったから、3番の急激な児童増加で教室をつくる必要があったから。正解は、3番の急激な児童の増加です。

 この当時の米沢新聞では、桑山にマンモス住宅団地がつくられ、児童数の増加に伴い、学校が狭くなる記事からも伺えます。また、児童数増加の他に、八幡原に移転した理由として、国道13号線から離れ交通面での安全が確保されていること、用地が広く環境が恵まれていることから現在の住所になったそうです。ちなみに、万世小学校児童数ですが、120年前は約250名でした。昭和20年ごろ約550名をピークに約170名前後まで減少しましたが、その後、桑山住宅団地の造成に伴い、昭和55年にはプレハブ校舎を増設しなければならないほど、人口が増加し、400名前後となりました。その後は減少傾向となり、今年度は、全校児童227名、教職員25名となっています。

 全部で3つのクイズを出しましたが、万世小学校の歴史について理解を深めましたか。特に、校歌にある「その名ゆかしき万世の郷」の意味が分かりましたか。皆さんは大変、格式高い小学校に登校していることに誇りを持ってほしいと思います。また、なんと戦国時代の武将、前田慶次ゆかりの郷でもあり、更には、本日配布するクリアファイルにも掲載されていますが、戦前、ゼロ戦などの戦闘機が飛び立つ飛行場の地でもあります。現在、東北では3番目の大きさを誇る八幡原工業団地の地元でもあります。

 これは昭和41年に制定された校章です。この万世小の校章に込められた願いの通り、子どもたちが、「万歳の松」のように清純で、鷹が羽ばたくように、たくましく成長する、そして永遠に続く万世の小学校であってほしいという先人の願いを大切にしていきたいものです。そして、自ら未来を切り拓く子どもを教育目標に掲げ、誰もが自慢できる、誇りに思える「地域に愛される」小学校を、私たち先生方と皆さんで築き上げていきましょう。

 最後になりましたが、この歴史と由緒ある万世小学校に尽力してこられた地域の皆様方をはじめ、保護者の皆様方へ心より感謝申し上げ、校長の式辞とします。本日は、米沢市立万世小学校、創立120周年、誠におめでとうございます。